いやなことが起こったとき
昨夜寝る前に浅見帆帆子さんの本をパラパラと見ていました。
一見いやだなと思うことがあったとしても、意味のない情報はやってこないということがわかっているので、その時の自分に必要があるからやってきたんだろう、と考えます。
この一文にひっかかって、先日わたしの身におこったことをかんがえていました。具体的にはこんなことをします。↓
なにかいやなことが起こった時、それまではそのことで頭がいっぱいになって、「自分は悪くないのにどうして…」という考えから脱(ぬ)け出せずにいましたが、それでもあえて「自分に欠けていたこと、知らせようとしていることはなんだろう」と情報を探すのです。
なかなか素直にこんな風に動けませんが、練習すると面白いようなので、いやなことが起こったときにはやってみることにします。
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コメント
全く同感ですね。
>一見いやだなと思うことがあったとしても、意味のない情報はやってこないということがわかっているので、その時の自分に必要があるからやってきたんだろう、と考えます。
これに似たもので、人を「嫌な人、嫌いな人」と感じる場合、それは自分に同じ所が有って、それを他人の中に見ているのだ、つまり、潜在意識の中で自分がその嫌な部分を治さなきゃいけないと思ってて、それを気付かせるサインなのだ、と何かの本で読みました。
投稿: nonnon | 2005/10/01 21:51